藤原 本雄(ふじわら の もとお)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。名は本緒とも記される[1]藤原式家左大臣藤原緒嗣の子。官位従四位上大和守

 
藤原本雄
時代 平安時代初期 - 前期
生誕 不詳
死没 貞観18年3月28日876年4月26日
別名 本緒
官位 従四位上大和守
主君 淳和天皇仁明天皇文徳天皇清和天皇
氏族 藤原式家
父母 父:藤原緒嗣
兄弟 家緒春津本雄忠宗、正子、藤原常嗣
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経歴

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淳和朝天長8年(831年従五位下叙爵仁明朝では嘉祥2年(849年大判事に任ぜられた記録があるのみで、全く昇進がなかった。

文徳朝に入り、仁寿3年(853年)22年ぶりに昇進して従五位上・刑部大輔に叙任され、翌仁寿4年(854年伊勢権介を兼ねる。天安2年(858年)2月に治部大輔に遷任し、同年8月に文徳天皇が崩御すると前次第司次官を務めている。

清和朝では、貞観3年(861年大蔵大輔に任ぜられた後、貞観4年(862年正五位下加賀守、貞観10年(868年従四位下大和守に叙任されるなど地方官を歴任した。貞観18年(876年)3月28日卒去。最終官位散位従四位上。

官歴

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六国史』による。

脚注

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  1. ^ 尊卑分脈』では本緒、六国史では本雄とする。

出典

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