藤原為継

鎌倉時代の公家・画家・歌人。藤原北家国経流、藤原信実の長男。従三位・左京権大夫。子に藤原伊信、藤原守雅(従五位下)、継尊(延暦寺。権少僧都)、行顕(延暦寺。法印)、為親(

藤原 為継(ふじわら の ためつぐ、建永元年(1206年) - 文永2年5月20日1265年7月4日))は、鎌倉時代公家画家歌人。初名は為忠藤原北家国経流左京権大夫藤原信実の長男。官位従三位・左京権大夫。

経歴 編集

中務大輔左京権大夫を経て、正嘉2年(1258年従三位に叙せられ、大納言藤原国経の子孫として初めて公卿に昇った。文永2年(1265年)5月20日薨去享年60。

画家としての活動は明らかでないが、勅撰歌人として『続後撰和歌集』(2首)以下の勅撰和歌集和歌作品18首が採録されている[1]

官歴 編集

公卿補任』による。

系譜 編集

尊卑分脈』による。

脚注 編集

  1. ^ 『勅撰作者部類』
  2. ^ a b 『尊卑分脈』

参考文献 編集

  • 『公卿補任 第二篇』吉川弘文館、1982年
  • 『尊卑分脈 第二篇』吉川弘文館、1987年