藤原 貞道(ふじわら の さだみち、生没年不詳)は、平安時代初期の貴族藤原北家末茂流紀伊守藤原総継の子。官位従五位下宮内少輔

経歴

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承和11年(844年従五位下叙爵する。仁明朝末の嘉祥2年(849年美作介に任ぜられると、翌嘉祥3年(850年)貞道は所管する英多郡大領・財田祖麻呂が同郡下川会郷英多河石上で白亀1枚を捕獲した旨を奏上している[1]

のち、斉衡3年(856年左京亮に任ぜられると、翌天安元年(857年宮内少輔文徳朝末にかけて京官を務めている。また、時期は不明ながら備前守も務めた。

官歴

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六国史』による。

脚注

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  1. ^ 『日本文徳天皇実録』嘉祥3年8月11日条
  2. ^ 『尊卑分脈』

参考文献

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