藤岡淳吉

日本の社会運動家

藤岡 淳吉(ふじおか じゅんきち、1902年6月28日 - 1975年5月7日)は、日本社会運動家出版人である[1]

ふじおか じゅんきち[1]

藤岡 淳吉[1]
生誕 1902年6月28日[1]
高知県安芸郡安田村(現安田町)[1]
死没 (1975-05-07) 1975年5月7日(72歳没)[1]
出身校 安田村高等小学校[1]
職業 社会運動家出版人[1]
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生涯

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高知県安芸郡安田村(現安田町)生まれ[1]。安田村高等小学校卒業[1]1917年鈴木商店に入社[1]大連支店に勤務。1918年米騒動で鈴木商店本店が焼き討ちされたことから、社会問題に関心を抱くようになった[1]。 支店内に勉強会「旭会」を組織し、機関紙発行人となり、創刊号に「米騒動と鈴木商店」を掲載した。旭会は解散させられ、藤岡は長春市の出張所に配転された[2]1921年、鈴木商店を退職[2]堺利彦書生となった[1]

1922年日本共産党に入党[1]1923年第一次共産党事件により長春市で逮捕され、1924年出獄[1]1926年東京市共生閣を設立、ウラジーミル・レーニン国家と革命』を皮切りに、カール・マルクスフリードリヒ・エンゲルスらの著作約500点を1940年まで出版した[1]。戦後彰考書院を設立、堺利彦・幸徳秋水訳『共産党宣言』などを刊行した[1]

親族

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翻訳家、出版人藤岡啓介作家編集者中川右介中川文人兄弟がいる。

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 藤岡 淳吉 フジオカ ジュンキチ 20世紀日本人名事典
  2. ^ a b 藤岡淳吉小伝2 5.喜劇は終わりぬ その2藤岡啓介―翻訳は文化である」