蘆名盛滋
蘆名 盛滋(あしな もりしげ)は、戦国時代の武将。蘆名氏第14代当主。
時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 文明14年(1482年) |
死没 | 永正18年2月6日(1521年3月14日) |
別名 | 出羽判官 |
官位 | 民部少輔、遠江守 |
氏族 | 蘆名氏 |
父母 | 父:蘆名盛高 |
兄弟 | 盛滋、盛舜、女子(伊達稙宗正室) |
子 | 針生盛幸 |
経歴
編集文明14年(1482年)、第13代当主・蘆名盛高の子として生まれる。
武勇に優れ、文亀元年(1500年)には父に従って猪苗代盛頼を討っている。しかし次第に父・盛高と対立を深め、永正2年(1505年)、重臣・松本氏の支援を受けて盛高と合戦に及んだが、敗れて伊達尚宗の下に逃走した。
後に盛高と和解して帰国し、永正14年(西暦では翌1518年)12月、盛高の死により家督を相続した。永正17年(1520年)には伊達稙宗の援軍として上山城主・最上義房と戦っている。
永正18年(1521年)2月6日、死去。享年40。実子・盛幸が居たが、弟の盛舜が家督を相続したため、盛幸は別家・針生氏を興した。
盛滋の生没年には異説が多く、生年には寛正4年(1463年)説もあり、没年には天文9年(1540年)6月23日(享年59)説もある。