虔十公園林

虔十公園林」(けんじゅうこうえんりん)は、宮沢賢治の短編童話である。賢治が亡くなった翌年(1934年)に発表された作品。賢治が知的障害をどう見つめていたかが書き綴られ、時代に先がけてノーマライゼーションの可能性に言及した点で貴重な作品である。[要出典]

目次

あらすじ編集

虔十(けんじゅう)は、おかしくもないのに笑ってばかりいて知恵が足りないと、周囲から馬鹿にされている少年である。

雪の残る早春に、虔十は家の裏手に杉苗を700本を植えることを思いつく。最初兄から土が合わないと反対されるが、父が虔十の初めてのわがままであることに気づいて、やらせてみることになる。翌日虔十が木を植えているのを見て、隣の平二が馬鹿にして止めさせようとするが、兄がやってきたおかげで何事も起きずにすむ。しかし虔十が木を植えたうわさが広まり、近所より冷笑される。

木は5年まで普通に育ったものの、成長がとまり8年経っても9尺(約2.5m)に留まった。百姓の冗談を真に受けた虔十は下枝を刈って、盆栽のような林になってしまう。兄はそれを見て笑ったもののよい薪が出来たと虔十を慰める。しかし、翌日からそこは子供たちの恰好の遊び場になり、虔十はそれを見て満足する。

ある霧の日、再び平二が実害もないのに、自分の畑に影が入るから木を切るように虔十に迫った。平二は虔十に手をあげるが、虔十はそれを断り、林を守りきる。そういうことがあって後、平二も虔十も病気(チフス)で亡くなってしまう。

それから20年間の間に街は急速に発展し、昔の面影はどこにもなくなってしまう。ある日この村を出てアメリカの教授になって帰って来た博士が15年ぶりに帰郷し、地元の小学校でアメリカについての講演をした。講演後、博士は小学校の校長たちと虔十の林に足を向け、この林だけがそのまま残っているのを発見して、子供心に馬鹿にしていた虔十のことを思い出す。そしてこの背の低い虔十の林のおかげで遊び場が提供されていたことや、今の自分があることを悟り、林の重要性に初めて気づく。

博士は「ああ、全くたれがかしこくたれが賢くないかはわかりません」と言って、校長にこの林を虔十公園林と命名し、子供たちのために永久に保存することを提案する。その話が広く伝わり、碑が立つと、かつて虔十の林で遊んで立派になった大人たちから多くの手紙や寄付が学校に集まり、虔十の遺された身内は本当に喜んで泣いた。

解説編集

この作品のテーマは「本当の知恵とは何か」であり、軽度の知的障害を持つ虔十という少年の行為が、多くの偉人を育み、最終的に地域に多大な貢献をもたらしたという構成となっている。

当時の日本では、少しでも健常でない子供は、コミュニティーの負担として親戚中から恥とされ、隠蔽することが常識であった。また宗教的にもそのような子は前世の罪の結果であると説明されていた時代であった。そういう常識に対し、そのような子でも必要な援助を与えれば(十力の作用によって)地域に貢献できる可能性があるとする作品となっている。

「虔十」という名前編集

賢治は童話「ビジテリアン大祭」草稿の第1葉の欄外に「座亜謙什」(「ざあけんじゅう」と読める)という書き込みを残している。また、「兄妹像手帳」という名前で呼ばれる手帳には"Kenjü Miyazawa"という署名が記されており、「けんじゅう」という名前と賢治自身の名前との関連が指摘されている[1]

関連項目編集

注釈・出典編集

  1. ^ 天沢退二郎「注解」『新編 風の又三郎』新潮社新潮文庫>、1989年、p.371
  2. ^ 花巻市立桜台小学校ホームページ”. 花巻市立桜台小学校. 2016年8月10日閲覧。

外部リンク編集