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西原借款(にしはらしゃっかん)は大正時代日本で当時の中華民国段祺瑞政権に対して行われた借款である。交渉に当たったのが寺内正毅首相の側近西原亀三であったことからこの名がついた。

大蔵大臣勝田主計の主導により日本興業銀行朝鮮銀行台湾銀行が資金を拠出、1917年から1918年にかけて実施され、総計1億4500万円にのぼった(八八艦隊が完成した場合の年間維持費が6億円と見積もられていた時代のことである)。中国側で交渉に当たったのは曹汝霖新交通系の政治家で[1]鉄道鉱山森林などの名目であったが実際は段祺瑞派軍閥の軍費に利用され、段が1920年に失脚したこともあってほとんど償還されず、日中双方で政府批判の材料となった。なお、勝田主計の子息で日本債券信用銀行頭取を務めた勝田龍夫によると、西原借款はそれを基礎として中国の通貨改革を進め中国を円経済圏に取り込もうという遠大な計画に基づくもので、借款総額は五億円を予定していたという[2]

出典・参考文献編集

  • 京都大学文学部東洋史研究室「改訂増補 東洋史辞典」1967年「西原借款」
  1. ^ 宮崎市定「中国文明の歴史 11 中国のめざめ」中公文庫、P205
  2. ^ 勝田龍夫「昭和の履歴書」文藝春秋、P29。なお勝田龍夫の著書に「中国借款と勝田主計」がある(ダイヤモンド社 1972年)。