角田林兵衛
3代[1] 角田 林兵衛(林兵衞、つのだ りんべえ、1855年3月9日(安政2年1月21日[1][2][3])- 1917年(大正6年)1月8日[1][3][4])は、明治から大正期の大地主、実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。
経歴
編集陸奥国伊達郡桑折村(現福島県伊達郡桑折町)[1]で豪農・2代角田林兵衛の長男として生まれる[1][2][3]。仙台の呉服商・伊沢家で見習奉公を行った[1]。
20歳で家督を相続し3代林兵衛を襲名した[1]。第百七国立銀行、福島農工銀行の創立に参画し[1]、第百七国立銀行取締役、同頭取、日本鉄道理事・取締役などを務め、福島商業銀行、福島羽二重の経営に加わった[1][4]。
政界では、桑折村会議員、桑折町会議員、福島県会議員を務めた[4]。1890年(明治23年)に福島県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[5]から1904年(明治37年)9月28日まで2期在任した[1][4]。
慈善事業や救済事業にも関心を持ち、また、小学校などの公共施設の建築などに多額の寄付を行った[1][2]。
病気療養中の1917年1月に心臓麻痺により死去した[3]
脚注
編集参考文献
編集- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『大正過去帳 物故人名辞典』東京美術、1973年。
- 『福島県史 第22巻 (各論編 8 人物)』福島県、1972年。
- 東洋新報社編『大正人名辞典 第3版』東洋新報社、1917年。