許 香桂(きょ こうけい、Xu Xianggui1831年 - 1856年)、末の天地会の蜂起の指導者の一人。

湖南省郴州出身。生員焦玉晶に嫁ぎ、姉の許月桂は焦玉晶の兄の焦亮のもとに嫁いだ。焦亮兄弟は郷試に落第したため、清朝打倒の志を抱くようになり、天地会に参加し、許月桂・許香桂姉妹も組織の指導者となった。

1851年太平天国軍が永安に侵入すると焦亮は太平天国軍に参加したが、翌年に清軍に捕らえられ北京で処刑された。1854年、許香桂・許月桂・焦玉晶は武装蜂起を開始した。許香桂は勇戦し元帥に推され、許月桂は組織を善くまとめ大元帥に推され、許姉妹の名は知られるようになった。

1855年何禄率いる広東天地会と胡有禄朱洪英率いる広西天地会が湖南省に進軍すると、許香桂らは彼らと連携して湖南省の奪取を企てた。何禄軍が6月に郴州・桂陽茶陵を占領すると、許香桂・許月桂・焦玉晶も衆を率いて参加し、焦玉晶は三省大営軍師に任命された。しかし9月に清軍は桂陽と茶陵を奪回し、郴州への攻撃を開始した。許香桂・許月桂・焦玉晶は郴州救援に向かったが失敗し、転戦の結果江華を占領した。11月に郴州は陥落し、何禄は戦死した。1856年1月、江華を退出したが、寧遠で清軍と戦闘になり許香桂は捕らえられ処刑された。許月桂と焦玉晶は偽って投降したが、見破られてやはり処刑された。

参考文献 編集

  • 羅爾綱『太平天国史』中華書局