諫早 茂行(いさはや しげゆき)は、江戸時代中期の武士肥前国佐賀藩士。諫早鍋島家諫早氏)8代当主。

 
諫早茂行
時代 江戸時代中期
生誕 正徳4年(1714年
死没 明和2年(1765年
改名 茂行、茂綿、愚生(号)
別名 石見
墓所 長崎県諫早市西小路町天祐寺
主君 鍋島宗茂宗教
肥前佐賀藩
氏族 諫早鍋島家諫早氏
父母 諫早茂晴諫早茂元娘・於福
兄弟 清延茂行
松本氏、山伏王円坊妹
行孝茂成茂図
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略歴編集

正徳4年(1714年)、7代諫早邑主・諫早茂晴の次男として誕生。

享保17年(1732年)、8代邑主となる。寛延2年(1751年)12月、藩の養子による世継問題に関与したことが不調法であるとして、地米四千石(石高換算一万石)を減封の上、蟄居となり、子・行孝に家督を譲った。また、この処分に対して財政財政が逼迫し困窮すると家臣や百姓が幕府へ直訴を企てた百姓騒動が起こった。(諫早騒動)隠居の後は茂綿と改め、愚生と号した。

明和2年(1765年)、死去。子の行孝は9代、茂成は10代、茂図が11代諫早邑主となった。

系譜編集

出典編集

  • 文道全則 武威是備 「諫早家ゆかりの品々展」 図録
  • 物語藩史第八巻(兒玉幸多、北島正元著 新人物往来社)p69
  • 諫早市史