豊田 栄(とよだ さかえ、1891年3月3日 - 1966年4月19日)は、医師、英語講師、キリスト教無教会主義新約聖書研究家。内村鑑三塚本虎二に師事した[2]

とよだ さかえ

豊田 栄
生誕 (1891-03-03) 1891年3月3日
福岡県
死没 (1966-04-19) 1966年4月19日(75歳没)[1]
出身校 東京帝国大学医科大学
職業 医師、英語講師、新約聖書研究家
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略歴

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1891年3月3日、医師である父・豊田貫一と母・豊田琴の5人兄弟の4男として出生した。志波尋常小学校に入学したのち転校し、吉井尋常高等小学校を卒業。明善中学校を卒業、熊本県の第五高等学校を卒業したのち上京、東京帝国大学医科大学1917年7月に卒業した。その後約1年間を海軍軍医として勤務後、軍艦比叡に乗艦。1920年に和泉橋慈善病院の小児科医局員となる[3]

1923年1月、古田孝子と結婚。同年より、東京帝国大学薬理学教室で2年間研究に従事。1927年、本郷の宇都野小児科病院副院長に就任。同年に東京帝国大学から医学博士の学位を取得。1929年7月、麻布にて豊田小児科診療所を開設し、1943年10月まで臨床業務に従事した[4]

医師業務に従事する合間、1927年より内村鑑三に聖書を学び、1929年よりギリシャ語聖書研究会、ヘブライ語聖書研究会に入会し、内村鑑三没後は塚本虎二が主催する聖書研究会に入会した[5]

1943年に健康を害して小児科診療所を閉鎖したのち、聖書研究に専念。1947年までギリシャ語聖書研究会の講師を担う傍ら、各地の大学で新約聖書の講義を行った[6]

1952年から1962年まで鷗友学園女子高等学校にて英語の授業を、同じく1952年から日本大学でキリスト教学の講師を担当した[6]

著書

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  • 『マルコ福音書註解』全62分冊、1966年~[7]
  • 『マルコ福音書註解』、みすず書房、1984年[8]

脚注

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参考文献

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  • 無教会史研究会編著、2002年、『日本キリスト教史双書 無教会史Ⅳ 第四期 連帯の時代』、新教出版社 pp. 25-27
  • [有志一同編集]、1982年、『豊田栄先生の思い出』、私家版 pp. 3-9