貴人厳氏

李氏朝鮮第9代国王成宗の後宮

貴人嚴氏(きじん げんし、クィイン オムシ、귀인엄씨、生年不詳 - 1504年3月20日)は李氏朝鮮第9代国王成宗後宮。嚴山寿(げん さんじゅ、オム・サンス、엄산수、1423年?[脚注 1] - 1504年)の娘。銀召史(ぎんしょうし、ウンソサ、은소사)または銀召伊(ぎんしょうい、ウンソイ、은소이)[2]

貴人嚴氏
귀인엄씨

全名 銀召史/銀召伊
出生 不詳
死去 1504年3月20日
配偶者 成宗
子女 恭慎翁主
父親 嚴山寿
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生涯

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嚴山寿の娘として誕生。姉と妹がおり姉は王族のひとり丹溪副正李潾(たんけいふくしょう り りん、タンゲブジョン イ・イン、단계부정 이인、生没年不詳)に嫁し、妹は末今(まつきん、マルクム、말금)という名で許則同(きょ そくどう、ホ・チクトン、허칙동)の妻となった。宮中に入った後昭容に封じられ[3]一女を儲けた。成宗崩御時では淑儀に封じられていたと墓誌文に記載がある[4]。同じく成宗の後宮であった昭容鄭氏と共に王妃尹氏を訴え、その結果尹氏は廃位され後に賜死された[5][6]

燕山君は母親の廃位と死はこのふたりのせいだとして深く恨み[5]、1504(燕山10)年3月20日深夜、鄭氏と嚴氏を王宮の庭に連れ出し緊縛して暴力を振るっただけでなく鄭氏の息子である安陽君李㤚朝鮮語版と鳳安君李㦀朝鮮語版に棒で2人が息絶えるまで殴らせた。その後2人の遺体を切断して塩漬けにし山や野にばら撒いて遺棄させたという[7]。父・嚴山寿は80歳を過ぎた高齢者で連座の対象ではなかった[1]にもかかわらず同年4月斬首刑に処せられ[8]、娘の恭慎翁主(コンシンオンジュ)は牙山に流罪となった[9]。3人の兄たちも流刑に処せられた後流刑地にて処刑されている[3]

中宗即位後に身分が回復され貴人を追贈された[10]

家系

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  • 父: 嚴山寿
    • 姉: 李潾室
    • 妹: 嚴末今 - 許則同室
    • 他、兄3人あり

脚注・文献

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脚注

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  1. ^ 1504年時点で数え82歳であった[1]
文献
  1. ^ a b 「義禁府堂上許琛, 金勘啓 嚴氏父山壽年八十二, 其姊金召史爲丹溪副正妻, 孽妹末今爲許則同妻, 兄嚴誨爲山松繼後, 鄭氏父仁石年八十一. 律云 年八十以上者, 不在緣坐之限, 出嫁及過房者, 皆不坐.」朝鮮王朝実録 燕山君日記52巻、燕山10年3月27日戊子2回目
  2. ^ 「推刷都監提調朴崇質, 金壽童, 金勘啓 王子女四家及鄭金伊, (銀召史)〔銀召伊〕 家, 今已封署, 請令郞廳帶軍士守直. 傳曰 㤚等家金銀, 珠玉, 寶器等, 輸置于尙衣院. 鄭金伊卽鄭氏, (銀召史)〔銀召伊〕 卽嚴氏。」朝鮮王朝実録 燕山君日記52巻、燕山10年3月28日己丑9番目
  3. ^ a b 귀인 엄씨 [貴人嚴氏] (朝鮮語) 斗山百科 2019.3.16 09:15 (UTC) 閲覧
  4. ^ 「我成宗, 粹乎無以議爲。 初在潛邸, 聘領議政韓明澮之女, 卽位封爲妃, 無子薨諡曰恭惠。 陞淑儀 尹氏爲妃, 卽判奉常寺事起畎之女, 寔誕今上殿下。 又陞淑儀 尹氏爲妃, 卽領敦寧府事壕之女, 生一男曰懌, 封晋城大君。 淑儀 嚴氏生一女, 曰恭愼翁主, 下嫁淸寧尉 韓景琛」朝鮮王朝実録 成宗実録297巻 成宗大王墓誌文
  5. ^ a b 심량근 귀인정씨(貴人鄭氏) (朝鮮語) people.aks.ac.kr 2019.2.2 10:20 (UTC) 閲覧
  6. ^ 有人詐稱監察尚宮家人。当初于権淑儀家。淑儀上之。其投書。厳鄭両昭容。将謀害中宮及元子云云。・・・上将廃中宮。・・・己酉夏五月。賜廃妃尹氏死。 燃藜室記述 第6輯「尹妃廃死」(国立国会図書館デジタルコレクション pp.227-228)
  7. ^ 「㤚, 㦀 鄭氏之出. 王以母妃尹氏廢死, 由於嚴, 鄭之譖, 夜縛嚴, 鄭于宮庭, 手自亂撃踐踏之, 召㤚, 㦀, 指嚴, 鄭曰 撲此罪人. 㤚暗不知爲誰撲之, 㤚心知其爲母, 不忍加杖. 王不之快, 令人亂撲, 備諸慘酷, 竟殺之. 王手劎立慈順王大妃寢殿外, 厲聲連叫曰 速出庭下. 甚迫. 侍女皆散走, 大妃猶不出, 賴王妃愼氏追到力救, 得不危. 王捽 㤚, 㦀髮, 至仁粹大妃寢殿, 開戸辱之曰 此大妃愛孫, 所進觴可一嘗. 督 㤚進爵, 大妃不得已許之. 王又曰 愛孫其無賜乎? 大妃驚, 遽取布二匹賜之. 王曰 大妃何殺我母? 多有不遜之辭. 後令內需司取嚴, 鄭屍, 裂而醢之, 散棄山野.」朝鮮王朝実録 燕山君日記52巻、燕山10年3月20日辛巳5回目
  8. ^ 「命斬嚴山壽, 鄭仁石.」朝鮮王朝実録 燕山君日記52巻、燕山10年4月1日壬辰7番目
  9. ^ 「安置鄭氏子㤚于堤川, 㦀于伊川, 女韓紀妻于白川. 嚴氏女韓景琛妻于牙山, 諭其道觀察使, 勿令所經郡邑迎接供饋.」朝鮮王朝実録 燕山君日記52巻、燕山10年3月27日戊子4回目
  10. ^ 「傳曰 卒嚴貴人, 鄭貴人 【被害於燕山】 三年祭物, 磨鍊題給.」」朝鮮王朝実録 中宗実録1巻、中宗1年11月11日丙戌4回目

関連項目

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  • 甲子士禍
  • 貴人鄭氏 - 共に王妃尹氏を訴えたために燕山君の恨みを買い、共に殺害された後宮。