賀敬之
賀 敬之(が けいし、1924年11月 - )は中華人民共和国の政治家、詩人[1]。筆名は艾漠、荊直。山東省棗荘市出身。延安魯迅芸術学院文学系卒業。中国共産党党員。元中華人民共和国文化部部長。第十二回・十三回中共中央委員。第七回全国人大常委会委員。第八回全国政協常委。代表作に革命歌劇『白毛女』。中共中央宣伝部副部長、中華人民共和国文化部副部長、中華人民共和国文化部部長を歴任した[2]。
賀 敬之 贺敬之 | |
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生年月日 | 1924年11月(99歳) |
出生地 | 中華民国 山東省棗荘市 |
出身校 | 延安魯迅芸術学院文学系 |
所属政党 | 中国共産党 |
称号 | 1951年スターリン文学賞 |
配偶者 | 柯岩(1953年-2011年) |
在任期間 | 1993年3月 - 1998年3月 |
政協主席 | 李瑞環 |
内閣 | 李鵬内閣 |
在任期間 | 1988年 - 1993年 |
在任期間 | 1982年 - 1987年 |
総書記 | 胡耀邦 |
内閣 | 李鵬内閣 |
在任期間 | 1992年 - 1992年 |
総理 | 李鵬 |
在任期間 | 1980年 - 1987年 |
賀 敬之 | |
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各種表記 | |
繁体字: | 賀敬之 |
簡体字: | 贺敬之 |
拼音: | Hè Jìngzhī |
英語名: | He Jingzhi |
略歴
編集15歳の時、抗日救亡運動に参加。同年に執筆活動を開始しました。
洛村私立小学・国立六中(現在の綿陽市南山中学)卒業。16歳の時に延安魯迅芸術学院文学系に入学した。
17歳の時、中国共産党に入党。
中日戦争の後、彼は文芸活動団から華北聯合大学に仕事をして。
1947年、青滄戦役に参加。
1949年の第一回全国文学芸術工作者代表大会で、中国戲劇工作者協会理事・中国文学工作者協会理事に選出された。
1966年から1976年、文化大革命で受けた攻撃も激しかったが、文革後、文化部副部長など多くの要職に復帰した。
1977年に中国共産党第十一回全国人民代表大会代表の代表に選ばれました。同年、文化部副部長に就任。
1980年8月、鄧小平内閣で中宣部副部長に任命される。1987年退任。
1991年、彼は日本に訪問する。
2003年、彼は世界詩人大会、世界文化芸術学院に栄誉文学博士の称号を授与された。
作品
編集受賞
編集1945年、革命歌劇『白毛女』、1951年スターリン文学賞。
紀念物
編集- 賀敬之文学館
脚注
編集- ^ “贺敬之:与人民同心” (中国語). 163.com. (2013年)
- ^ “革命理想铸就经典之作——访著名诗人贺敬之” (中国語). 新華網. (2015年9月8日)
- ^ 張其雪 (2007年3月19日). “走近贺敬之、柯岩夫妇” (中国語). 中国作家網
- ^ 周明 (2009年8月27日). “贺敬之 柯岩 阳光伉俪 浪漫诗情” (中国語). 中国作家網
- ^ 天津日報 (2011年12月30日). “柯岩贺敬之伉俪情深 “背对背唱和”成追忆(图)” (中国語). 中新網
官職 | ||
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先代 王蒙 |
1989年-1992年 中華人民共和国文化部長 |
次代 劉忠徳 |