賀茂大川
賀茂 大川(かも の おおかわ)は、奈良時代の貴族。従六位上・賀茂牧手の子とする系図がある[1]。官位は従五位上・伊賀守。
時代 | 奈良時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 従五位上伊賀守 |
主君 | 称徳天皇→光仁天皇→桓武天皇 |
氏族 | 賀茂朝臣氏 |
父母 | 父:賀茂牧手 |
経歴
編集天平宝字8年(764年)藤原仲麻呂の乱の功労により従五位下に叙爵。天平神護3年(767年)大監物次いで内匠助に任ぜられた後、8月に長門守として地方官に転じる。
宝亀2年(771年)木工助に任ぜられると、のち弾正弼・内蔵助と光仁朝では京官を歴任する。
桓武朝でも、神祇大副・大蔵少輔と京官を歴任。延暦10年(791年)に27年ぶりに昇叙され従五位上となるが、間もなく伊賀守に任ぜられ、再び地方官を務めている。
官歴
編集脚注
編集- ^ 鈴木真年『百家系図』巻55,賀茂朝臣