赤楽早船
日本の戦国時代の茶器(茶碗)
赤楽茶碗の一種。千利休に才能を見込まれた陶芸家・長次郎の作[1]。利休七種茶碗の一つ。
利休が茶会を催す際、わざわざ早船で運ばせてまで取り寄せたことから、この名前がついた。細川幽斎や古田重然らが所望したが、利休の死後、結局は蒲生氏郷の手に渡った。
その後、蒲生氏郷から京都の大文字屋宗夕、矢倉九右衛門、金沢の亀田是庵、大阪の藤田家へと伝わった。
どの時点で破損したのかは不明だが、現存している早船には割れを修復した跡がはっきりと残っている。
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