趙 徳昭(ちょう とくしょう、951年 - 979年)は、の太祖趙匡胤の次子。母は孝恵皇后賀氏は日新。魏王、武功郡王、燕王、呉王、越王などに封じられた。その子孫として9世孫に理宗、10世孫に度宗がいる。979年太宗により死を賜った

趙徳昭の三男の趙之遴韓国白川趙氏の始祖である[1]

脚注編集

[脚注の使い方]