趙 金羅(ちょう きんら、1103年3月以前 - 1127年)は、北宋の徽宗の第4皇女(夭逝を除いて第3皇女)。
賢妃鄭氏(後の顕粛皇后)の次女として生まれた。崇寧2年(1103年)3月、淑慶公主の位を授けられた。大観2年(1108年)2月、安福公主の位を改授された。
政和3年(1113年)閏4月、安福帝姫の位を改授された。政和7年(1117年)6月、安徳帝姫を再授され、左衛将軍の宋邦光に降嫁した。
靖康の変後、金に連行され、闍母(中国語版)(太宗呉乞買の弟)の側室となった。天会5年(1127年)10月26日、死去した。