足助 重信(あすけ しげのぶ)は、鎌倉時代後期の武将

 
足助重信
時代 鎌倉時代後期
生誕 不明
死没 正慶2年/元弘3年5月22日1333年7月4日
別名 三郎太郎[1][2]
氏族 足助氏
父母 父:足助重武
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経歴・人物

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三河国加茂郡足助荘の領主[1]弘安8年(1285年)の霜月騒動で所領を没収されて以降、足助氏鎌倉幕府への不満を募らせており、重信も一族の足助重氏らと共に討幕運動に加わって新田義貞鎌倉攻めに従軍したが、由比ヶ浜にて討死した[1]

脚注

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  1. ^ a b c 安田元久編『鎌倉・室町人名事典』新人物往来社、p.38(1985)
  2. ^ 上田正昭・ほか編『日本人名大辞典』講談社、p.51(2001)