路恃慶
経歴
編集広平郡の宋翻とともに名を知られ、相州刺史の李安世の推薦を受けた。太和年間、奉朝請に任じられた。しばらくして尚書儀曹郎となり、左民郎に転じ、潁川郡太守を代行した。安定王元燮の下で征虜府長史をつとめた。まもなく母が死去し、服喪のために職を辞した。河間王元琛の下で長史となった。元琛は勝手きままにふるまったので、恃慶は事あるごとに苦言を呈した。享年48で死去した。左将軍・安州刺史の位を追贈された。諡は襄といった[1][3]。
家族
編集脚注
編集伝記資料
編集参考文献
編集- 『魏書』中華書局、1974年。ISBN 7-101-00313-3。
- 『北史』中華書局、1974年。ISBN 7-101-00318-4。