前後左右将軍
(左将軍から転送)
前後左右将軍(ぜんごさゆうしょうぐん)は、中国の秦・前漢以降の官職名。軍を率いる将軍位の一つ。
- 前将軍
- 左将軍
- 右将軍
- 後将軍
の四種の総称である。
『漢書』百官公卿表上、『続漢書』百官志一によれば周末に生まれた官であるという。金印紫綬で、常に置かれたのではなかった。征伐を掌り、任務が終われば官自体も終了した。
『宋書』百官志上によると、後漢の光武帝の建武7年(31年)に一旦廃止され、魏以降にまた置かれるようになったというが、『後漢書』光武帝紀によれば建武13年(37年)に左右将軍が廃止されており、後漢末以降また置かれるようになっている。
三国時代の魏では二品官であった。前将軍に夏侯惇・張遼・満寵・文欽、後将軍に曹洪・朱霊・牛金・文聘・鍾毓、左将軍に張郃・徐晃・于禁・郭淮・毌丘倹、右将軍に張郃・楽進・夏侯覇などが任じられた。蜀漢では前将軍に関羽・魏延・李厳・鄧芝、後将軍に黄忠・姜維・宗預、左将軍に馬超・呉懿・向朗・龐義・句扶、右将軍に張飛・諸葛亮・高翔・輔匡などが任じられた。呉では前将軍に呂範・朱桓・孫秀・唐咨・鍾離牧、後将軍に丁封・賀斉、左将軍に諸葛瑾・朱拠・士燮・留賛・留平、右将軍に潘璋・孫慮・呂拠・歩騭・諸葛靚などが任じられた。