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近津神社(ちかつじんじゃ)は、兵庫県小野市粟生町にある神社である。社格は村社。当社の明神鳥居は、1972年昭和47年)3月24日兵庫県指定文化財に指定されている[1]

近津神社
所在地 兵庫県小野市粟生町1489
位置 北緯34度51分59.6秒
東経134度54分13.3秒
座標: 北緯34度51分59.6秒 東経134度54分13.3秒
主祭神 天津彦彦火瓊瓊杵尊
社格 村社
創建 (伝)仁賢天皇8年(495年
例祭 10月17日
地図
近津神社の位置(兵庫県内)
近津神社
近津神社
近津神社 (兵庫県)
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概要編集

主神の天津彦彦火瓊瓊杵尊(瓊瓊杵尊)、配祀神は天児屋根命天太玉命本殿拝殿、石鳥居をはじめ、豊受大神宮、愛宕神社、大歳神社、秋葉神社などがある。二の鳥居である明神鳥居は、凝灰岩で造られ、柱真々1.8メートル、高さ約2.7メートルの鳥居であり、兵庫県指定文化財に指定されている。丈は高いが、木割が太く、総体的に古い様式が認められる。特に目立つのは、エンタシスをつけて直立する柱端部に向かって丈を減じつつ折れ上がった笠木、そしてその端を垂直にした切り口などである。額束表に「近津宮」、裏に「大工藤原甚五郎 奉本願筑前光明房 施主 天正廿壬辰年十二月十六日 敬白」と記されており、1592年天正20年)の造立であることがわかる。現状は貫木(ぬき)の両端の差込み鼻を失っているが、古風さを今に伝えている[2]。なお、明神鳥居の前にある一の鳥居には「明治廿七年甲午歳六月吉日建築之」と刻まれている。拝殿の手前には土俵がある。

歴史編集

仁賢天皇8年(495年)創建と伝わる。山に光を放つ大木があり、その麓に社殿を建てたという。元弘年間(1331年1333年)に兵火により、社殿荒廃。その後、再建される。長禄年間(1457年1459年)に赤松政則が当社にて家運の隆昌を祈願したと伝えられている。のちに赤松政則は播磨国加賀国を得て、社殿を造営した。

1578年(天正6年)に織田信長により播磨平定の命を受けた羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が三木の別所長治を攻めるにあたり、当社にて祈願。秀吉がくぐったとされる門なども近隣住宅に現存。また近くを流れる加古川には、加古川と東条川が合流する地点に「太閤渡し」(別名「新部渡し」)と呼ばれる渡し場がある。これは秀吉が別所氏を攻める途中、ここで河合村の船頭、山田新介らの手を借りてで軍勢を渡したことに始まると伝えられている。これに対する褒美として、秀吉は渡し舟の運行を許可し、夫役の免除の墨付(証文)も与えている。1955年(昭和30年)頃まで渡し舟の運行が続けられていた。三木城落城後、秀吉は当社に社領を寄進する。

寛永年間(1624年1643年)には、本田美濃守が五反の地を寄進。累代の姫路領主がこれを継承し、黒印領を捧げる。1874年明治7年)に村社に列せられた。

その他編集

青野ヶ原台地の麓に鎮座する神社である。住吉神社が管理をしているが、手入れは十分ではない。拝殿には、複数の扁額式の大絵馬が掲げられているが、劣化が激しい。判読できる文字の中には「奉納 天保二歳辛卯菊月吉日」や「天保三 辰 七月吉祥日」と記されたもの、「百齋義信筆」と記された武者の絵馬などがあるが、文字も絵も薄れて消えかかっている。また「大関」や「関脇」といった相撲関係のことを記した絵馬や神社の由緒のようなものを記した絵馬も掲げられており、文化財的価値のあるものであれば、早急な保存が求められる。

この内の、1831年(天保2年)に製作された「おかげ踊り図絵馬」については、小野市指定有形民俗文化財に指定されている[3]

所在地編集

  • 〒675-1358 兵庫県小野市粟生町1489

交通アクセス編集

周辺施設編集

脚注編集

  1. ^ 近津神社 明神鳥居(小野市)
  2. ^ 兵庫県教育委員会「県指定文化財 近津神社明神鳥居」1990年平成2年)11月同社掲示
  3. ^ 近津神社 おかげ踊り図絵馬(小野市)
  4. ^ 最寄駅・最寄のバス停
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関連項目編集

外部リンク編集