近藤正慎
近藤 正慎(こんどう しょうしん、文化13年(1816年)2月 - 安政5年10月23日(1858年11月28日))は、江戸時代末期(幕末)の尊王攘夷運動家。清水寺寺侍。本姓は栗山、名は義重、通称は仲。
丹波国桑田郡亀山藩山本村中条(後の京都府南桑田郡篠村山本中条、現在の亀岡市篠町)生まれ。京都清水寺成就院で出家。兄弟僧であった月照を支援し尊攘運動に身を投ずる。
安政の大獄に連座して捕縛され、六角獄舎において、月照の行方について拷問を交えて問われるが全く白状せず、獄中で舌を噛み切って壁に頭を打ちつけて自害した[1]。享年43。1903年(明治36年)、従五位に列せられた[2]。
脚注
編集- ^ おとぎ話の「舌切すずめ」とは無関係 屋号に冠した寺侍・近藤正慎の壮絶な最期 清水寺よだん堂
- ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.20