近藤 重三郎(こんどう じゅうさぶろう、1886年6月1日[1] - 1953年7月17日[2])は、日本の政治家衆議院議員(1期)。

経歴

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愛知県出身[2]1914年東京帝国大学農芸化学科卒[2]岡崎市会議員、同参事会員、岡崎商業会議所会頭、所得税調査委員、伊勢屋、伊豆水電各(株)取締役社長、岡崎電燈(株)ほか数社の取締役、燧洋電気(株)ほか数社の監査役となる[2]

1924年第15回衆議院議員総選挙において愛知3区から憲政会公認で立候補して当選した[3]。衆議院議員を1期務めた。1928年第16回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。1953年死去。

脚注

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  1. ^ 衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、14頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』264頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』74頁。

参考文献

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  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。