遠山地震

江戸時代に信濃国南部の遠山郷で発生した地震

遠山地震(とおやまじしん)は、江戸時代享保3年7月26日1718年8月22日)に信濃国南部の遠山郷で発生した地震

遠山地震
遠山地震の位置(日本内)
遠山地震
本震
発生日 1718年8月22日
発生時刻 14時ころ (JST)
震央 日本の旗 日本 長野県飯田市
北緯35度20分 東経137度56分 / 北緯35.34度 東経137.94度 / 35.34; 137.94座標: 北緯35度20分 東経137度56分 / 北緯35.34度 東経137.94度 / 35.34; 137.94
規模    M7.0
最大震度    震度7:南信濃和田(推定)
津波 なし
地震の種類 大陸プレート内地震
被害
死傷者数 死者 180人程度
プロジェクト:地球科学
プロジェクト:災害
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現在の長野県飯田市南信濃和田にあたる、いわゆる遠山郷の直下を震源として発生した中央構造線と合流する枝分かれ断層の遠山断層、もしくは近傍の雁行断層である伊那谷断層に起因する内陸地殻内地震で、地震の規模を示すマグニチュードは7前後と推定されている。この地震は現在の長野県内のみならず、岐阜県、愛知県、静岡県の各地域に被害をおよぼした。

長野県南部において発生する被害地震は極めて少なく、長野県南部において歴史地震として追跡出来る地震はこの遠山地震のみである。この地震の震源は中央構造線と遠山断層との合流点付近にあり、また中央構造線に並行して伊那谷断層も存在するものの、奈良県以東の中央構造線自体の活動性は第四紀以降は低調で推移している。近傍では715年[1]浜松市佐久間を震源とする遠江地震が発生している。

遠山地震の11年前の1707年宝永4年)には、南海トラフ沿いのほぼ全域が震源域となった宝永地震が発生しており、誘発地震と推定されている[2]

脚注 編集

  1. ^ 続日本紀』は和銅8年(715年)と記すが、『扶桑略記』は和銅7年(714年)と記し、埋没樹木の年輪による測定は714年としている(「西暦714年遠江地震に伴う長野県南部遠山地域の地変とその後の地形変化」『日本地質学会学術大会講演要旨』 2009, 2009 巻, 第116年学術大会(2009岡山),https://doi.org/10.14863/geosocabst.2009.0.330.0)。
  2. ^ 坂本正夫, 「遠山地震(1718年)の被害調査」『伊那谷自然史論集』 15巻 2014年 p.16-17頁(5) 活断層としての中央構造線の活動, 飯田市美術博物館, doi:10.20807/icmnhr.15.0_1