遠山 藤九郎(とおやま とおくろう、大永7年(1527年) - 天文16年(1547年[1])は、戦国時代武将後北条氏の家臣。父は遠山綱景で長男。弟に隼人佐弥九郎政景忠孝景宗、妹に大道寺政繁室、法性院(北条氏康養女・太田康資室)、島津主水正室、伊丹政富室ら、子に成田長親の室になった娘がいる。

生涯 編集

諱は不詳。仮名は藤九郎。妻は太田資顕の娘[1]

天文15年(1546年)以前に太田資顕の娘と結婚している。天文16年(1547年)に21歳の若さで死去した[1]

若死したため、遠山氏の嫡子には実弟の隼人佐が昇格し、藤九郎の未亡人と娘は資顕が引き取った。しかし資顕も後を追うようにすぐに死去し、資顕の実弟である資正北条氏康から離反したため、未亡人と家族は縁戚にあたる忍城主・成田氏に引き取られた[1]

脚注 編集

  1. ^ a b c d 『戦国北条家一族事典』 戎光祥出版。2018年。P204

参考文献 編集