鄭 俊彦(てい しゅんげん)は中華民国の軍人。北京政府安徽派に属したが、後に直隷派に転じた。傑卿

鄭俊彦
プロフィール
出生: 不詳
死去: 不詳
出身地: 直隷省趙州寧晋県
職業: 軍人
各種表記
繁体字 鄭俊彥
簡体字 郑俊彦
拼音 Zhèng Jùnyàn
ラテン字 Cheng Chün-yen
和名表記: てい しゅんげん
発音転記: ジョン ジュンイエン
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事跡 編集

保定陸軍学堂を卒業。最初は、安徽派盧永祥に属したが、後に直隷派孫伝芳に帰した。1924年民国13年)10月、陸軍第10師師長に任命され、翌民国14年(1925年)11月、五省聯軍第14師師長となった。1926年(民国15年)10月、五省聯軍贛軍総司令に昇進した。

1927年(民国16年)、安国軍第1方面軍団副総司令に任命され、第2軍軍長兼第10師師長となった。しかし、1928年(民国17年)6月、中国国民党北伐軍に敗北して下野した。この後、山西省閻錫山に投降し、第3集団軍第5軍団軍団長に任命される。1929年(民国18年)の軍縮の後、第3旅第47師師長に異動したが、まもなく辞任した。

これ以降、鄭俊彦の行方は不詳である。

参考文献 編集

  • 来新夏ほか『北洋軍閥史 下冊』南開大学出版社、2000年。ISBN 7-310-01517-7 
  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
   中華民国北京政府
先代
鄧如琢
贛軍総司令(江西督弁)
1926年10月 - 1927年
次代
(廃止)