金井 南龍(かない なんりゅう、1917年6月5日 - 1989年2月27日)は、日本の宗教家、易者、治療師、画家。神理研究会創設者で、月刊誌『さすら』の編集発行人。本名、金井三吉。筆名、金井久蜘蛛(くくも)。「一人一宗」を提唱した。

来歴 編集

1917年(大正6年)、群馬県富岡市に生まれる。生まれつき霊能があり、日常的に神霊との交流があったという[1]。20歳で近衛師団に召集され、皇居や御用邸の警備にあたる[2]。22歳で満州に出征。ノモンハンの戦闘(1939年)に参加したが、途中で肺結核に罹患し兵役免除となる[3]

1947年(昭和22年)、30歳で自動車販売会社を興す。しかしそれを人に譲り、宗教的活動をはじめる[4]。1955年から1969年にかけて全国の霊山霊場を巡り、富士山を中心とする結界(富士五十鈴)を構築したという[5]。この間、神職の資格をとり、易占、医業類似行為などを生業とする[6]。週刊誌に占いコーナーを連載していたこともある[7]。1965年から、同行者を連れて滝行をはじめ「滝の行者」の異名を得る。

1970年(昭和45年)、神理研究会を創立(53歳)。以降、その機関誌『さすら』誌上で、一人一宗(いちにんいっしゅう)、白山神界、菊理姫、伊勢五十鈴フトマニ・クシロ、富士真柱神、ハハノミタマ、御蠱の蠱神(みまじのこがみ)などについて、みずからの霊的体験にもとづく言説を展開した。四柱推命と姓名判断を組み合わせた「四柱姓名」による占例も掲載[8]

同誌はまた、書籍目録の作成、稀覯資料の発掘・公開にも尽力する。とくに、1974年~75年、旧事本紀大成経をはじめ、大石凝真素美、肝川神啓、本田親徳、など埋もれていた資料をつぎつぎに掲載した[9]。これらは随時、出版社によって書籍化されていく。

1974年8月、SF雑誌『奇想天外』に、荒俣宏が神理研究会を紹介する記事を寄稿(団精二名義)[10]。1975年12月から76年3月にかけて三回、座談会の筆録が「さすら」に掲載され、76年12月『かみさまのおはなし』としてまとめられる。

1977年、5月、『地球ロマン』復刊5号に言霊関係の資料で協力する。同号に「さすら」誌の広告が掲載される。11月、第一回「さすらの集い」開催。笠井鎮夫、米津千之、田中初夫[11]、など、約50名が参加した。武田洋一、山本白鳥、神領國資も参加している[12]。以後、毎月一回開催される。

1979年、6月、松岡正剛編集の雑誌『遊』に寄稿。11月、武田編集の『迷宮』にインタビュー掲載。『迷宮』には毎号「さすら」関係の広告や告知が掲載されている。1980年、徳間書店の編集者・守屋汎に依頼され、武田が『かみさまのおはなし』を再編集。追加インタビューを行い、注釈を加えて、80年4月『神々の黙示録』として出版される。これにより、一般的な知名度が上がった[13](63歳)。

蔵書は約三万冊。学者など文化人との交流も多い。宗教的体験を描いた絵画を十数点遺しており、それらは死後複数の展覧会に出展されている。

逸話 編集

  • 『さすら』の誌名は、「大祓詞」の最後の方に出てくる「速佐須良比売」に由来する。禊の完成を意味するという。[14]
  • 「大祓詞」で謎とされる「天津祝詞の太祝詞事(あまつのりとのふとのりとごと)」について、この部分には、祈願者の願い事を入れるという説を述べている。[15]

著書 編集

  • 『かみさまのおはなし』共著、神理研究会、1976年。(金井南龍、笠井鎮夫、米津千之[16]、筑糸正嗣、中西旭
  • 『神々の黙示録: 謎に包まれた神さま界のベールを剥ぐ』共著、徳間書店、1980年。[17]
  • 『遊学大全:極本』共著、工作舎、1980年。(「時代のはざまに出たる空亡戦士」執筆)
  • 『御蠱の蠱神:易神からの通信』、神理研究会、1996年。
  • 『易類目録』、金井南龍編、神理研究会、1979年。
  • 『先代旧事本紀大成経に関する調査中間報告・旧事本紀大成経と私・神道常識を養うのに必要な書籍』、金井三吉編著、神理研究会、1978年。

雑誌記事 編集

  • 「金井南龍インタヴュー:ネオ神道主義の一断面」(『迷宮』第2号、白馬書房、1979年)
  • 「夢の垂直判断」(『遊』1007号、工作舎、1979年)
  • 「金井南龍の神さま丸かじり放談」(『ゴッドマガジン』3号、徳間書店、1985年)
  • 「職業を通して高天原へ:金井南龍さんに聞く」(『ナーム』昭和62年2月号、水書房、1987年)

発言記録 編集

  • 「ヘブライ研究座談会報告書」[18]
小笠原孝次主宰「ヘブライ研究会」での発言記録(昭和38年11月~昭和40年5月、全17回)。金井南龍は第7回(昭和39年5月24日、1964年)より参加。銀座のレストラン「八眞茂登(やまもと)」で開催された。金井の関係者や、親交のあった奥一夫(弁護士)も出席。小泉太志命との交流の様子や江ノ島岩屋洞窟参拝の記録もある。

展覧会 編集

  • 「金井南龍・成瀬杏子二人展」文藝春秋画廊(1986年2月17日~2月22日)
  • 「第12回東京展」東京都美術館(1986年9月17日~10月3日)[19]
  • 「龍の國・尾道 : その象徴と造形 : 開館20周年記念展」尾道市立美術館(2000年3月18日~5月7日)[20]
  • 「スサノヲの到来-いのち、いかり、いのり」(主催:足利市立美術館、読売新聞社、美術館連絡協議会)[21]
・足利市立美術館(2014年10月18日~12月23日)・DIC川村記念美術館(2015年1月24日~3月22日)・北海道立函館美術館(2015年4月11日~5月24日)・山寺芭蕉記念館(2015年6月4日~7月21日)・渋谷区立松濤美術館(2015年8月8日~9月21日)
  • 「表現の生態系:世界との関係をつくりかえる」アーツ前橋(2019年10月12日~2020年1月13日)[22]
  • 「顕神の夢 ―幻視の表現者― 」展 (主催:顕神の夢展実行委員会、ほか)[23]
・川崎市岡本太郎美術館(2023年4月29日~6月25日)・足利市立美術館(2023年7月2日~8月17日)・久留米市美術館(2023年8月26日~10月15日)・町立久万美術館(2023年10月21日~12月24日)・碧南市藤井達吉現代美術館(2024年1月5日~2月25日)

脚注 編集

  1. ^ 「職業を通して高天原へ」、p35
  2. ^ 『さすら』30号、p76
  3. ^ 『さすら』175号、p58
  4. ^ 図録『スサノヲの到来』p163
  5. ^ 『神々の黙示録』p211
  6. ^ 『さすら』324号、p12
  7. ^ 『週刊漫画天国』芸文社、1962年ごろ。
  8. ^ 『御蠱の蠱神:易神からの通信』に収録。
  9. ^ 『古神道の本』p209、学研。
  10. ^ 『奇想天外』1974年8月号、p168。「もっと学術色を出した団体」として紹介。
  11. ^ 『践祚大嘗祭』の著者、大成経の研究者。東京家政学院大学図書館館長、群馬県出身。
  12. ^ 「さすらの集い第一回の御報告」、『さすら』昭和53年1月号、p8。
  13. ^ 旭屋書店銀座店、1980年5月のベストセラー第3位(『実業往来』1980年7月号、p89)。1985年に5刷が出ている。
  14. ^ さすら18号「つるぎのさとし」
  15. ^ 「ですからその間に、「この子の病気を治して下さい」(…)とか、自分の祈りの主眼点をあそこに入れるわけです。」(『かみさまのおはなし』p84)
  16. ^ 東京学芸大学教授、折口信夫に師事。
  17. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション『神々の黙示録』”. 2023年5月13日閲覧。
  18. ^ 小笠原孝次『神道から観たヘブライ研究三部書』所収。和器出版、2017年。
  19. ^ 金井南龍作「つくば」「妙義蜃気楼」を出展。公募展。
  20. ^ 金井南龍作「昇り龍降り龍」が出展された。
  21. ^ 金井南龍の絵が9点出展された。展覧会は2014年の「美連協大賞」を受賞。
  22. ^ 金井南龍の絵、4点出展。
  23. ^ 金井南龍の絵「妣の国」が出展された。

参考資料 編集

  • 図録『スサノヲの到来-いのち、いかり、いのり』読売新聞社、2014年。
  • 図録『龍の國 尾道 : その象徴と造形』尾道市立美術館、2000年。
  • 荒俣宏『神秘学マニア』集英社文庫、1994年。p.367
  • 武田崇元「ムー前夜譚(3)/ ナマのオカルトで世界を批評せよ! 『復刊地球ロマン』による”平地人”へのメッセージ」、ウェブマガジン『ムーCLUB』、ムーPLUS、2020/05/04。
  • 『古神道の本』学研、1994年。
  • 川島秀一「巫女がつくる歴史伝承:阿武隈山地の小手姫伝説」(『口承文芸研究』25号、日本口承文芸学会、2002)p.24
  • 鎌田東二「スサノヲの到来展 新しい世界を切りひらく」徳島新聞(2014年12月1日付)文化面、「鎌田教授のコラムが徳島新聞に掲載されました」京都大学こころの未来研究センター(2014/12/08)”. 2021年6月13日閲覧。
  • 『表現の生態系』左右社、2019年。(アーツ前橋企画展「表現の生態系」コンセプトブック)
  • 不二龍彦「神道系霊能者・金井南龍」(『ムー』2022年4月号、ワン・パブリッシング)
  • 図録『顕神の夢—幻視の表現者』(顕神の夢展実行委員会、2023年)