金光 市左衛門(かなみつ いちざえもん、享保14年(1729年) - 宝暦4年2月4日1754年2月25日))は、岡山藩士。金光藤之丞の子、弟に金光幸介。通称は清之進、のち市左衛門。幸次。四十五俵四人扶持(四公六民の年貢の基準で言えば、110石程度の価値に相当)。

元文3年(1738年)10月、父・藤之丞の死去により跡目相続。延享3年(1746年)12月2日に御城番、寛延2年(1749年江戸詰めとなる。宝暦4年(1754年)、病に罹り弟・熊次郎を養子とする。同年2月4日、病のため死去。跡目は弟・熊次郎が相続した。

先代
金光藤之丞
(金光宗高系)清右衛門家4代当主
1738年 - 1754年
次代
金光幸介

参考文献 編集

岡山大学附属図書館 池田家文庫マイクロフィルム目録データベース〔先祖【並】御奉公之品書上〕金光等平