金田 正峯(かねだ まさみね、正徳元年(1711年) - 没年不詳)は江戸時代中期の江戸幕府旗本桓武平氏千葉氏分家の金田氏分家。父は金田正澄で、正峯は次男にあたる。母は保田宗郷(内膳正)の娘。兄は金田正甫。妻は八木茂時の娘、金田正朝の娘、織田宣居の娘。実子は1男3女で、長女は土岐頼寛の妻。養子出羽国米沢藩の支藩米沢新田藩の藩主上杉勝周の次男、金田正矩。養女は妹で、金田正祥の妻。石高は500石。通称は幸次郎。官位は能登守。

経歴 編集

享保元年(1716年)に分家し、美濃国加茂郡各務郡に500石を与えられる。小普請組支配や江戸城西ノ丸書院番を勤める。

実子の正於(弥惣八)は病弱のために、米沢新田藩より婿養子を迎える。明和元年(1764年)には本丸書院組四番組番頭となる。安永9年2月6日(1780年3月11日)に隠居

参考文献 編集

  • 「新訂 寛政重修諸家譜 第9」続群書類従完成会