釘無橋

日本の埼玉県川越市・比企郡川島町にある橋
埼玉県道12号標識

釘無橋(くぎなしばし)は、埼玉県川越市府川と比企郡川島町角泉の間を流れる入間川および越辺川に架かる埼玉県道12号川越栗橋線の道路である。

釘無橋
地図
基本情報
日本の旗 日本
所在地 埼玉県川越市 - 比企郡川島町
交差物件 入間川越辺川
用途 道路橋
路線名 埼玉県道12号川越栗橋線
管理者 埼玉県東松山県土整備事務所
着工 1971年昭和46年)11月2日[1]
竣工 1973年(昭和48年)
開通 1973年(昭和48年)12月7日[1]
座標 北緯35度57分22.6秒 東経139度29分16.6秒 / 北緯35.956278度 東経139.487944度 / 35.956278; 139.487944 (釘無橋)
構造諸元
形式 桁橋
全長 561.95 m
8.00 m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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概要 編集

現行橋は1973年昭和48年)架橋。入間川の終点より8.2 kmの地点に位置し[2]、入間川と越辺川の2河川をまたいでいる。橋長561.95 m(メートル[1]。歩道は下流側のみに設置されている。また、取付高架橋の下には伊佐沼代用水の府川橋が現存しており、河川の橋の下に別の河川の橋がある珍しい立地となっている。左岸側取付道路の斜路は盛土となっている。堤防天端の道路は左岸側および背割堤のみアクセス可能となっている。東武バスウエストの路線バスの経路(川越04系統)に指定されている。最寄りのバス停留所は川島側にある「釘無土手上」バス停留所で、川越側には橋を降りた先に「二本松」バス停留所もある[3]。埼玉県の第一次緊急輸送道路に指定されている[4]

歴史 編集

 
木造冠水橋の第一釘無橋(1955年頃)

江戸時代は釘無の渡しという渡し場であった。渡し場はいつから存在していたかは定かではないが、『武蔵志』の記述から1802年享和2年)までには設けられていたと云う[5]。川越道に属し渡船二艘(人渡し一艘、馬渡し一艘)を有する公で管理する官渡であった。 1944年(昭和19年)に着工され、1954年(昭和29年)に完成した入間川、越辺川、小畔川の三川分流工事により[6][7]第一釘無橋(橋長84.3 m)、第二釘無橋(橋長63.6 m)という冠水橋が架けられた。 冠水橋の老朽化や耐荷力の不足から永久橋が川上側に架けられることになり、1973年(昭和48年)[6]に釘無橋の完成により撤去された。これにより橋の所在地が大字釘無でなくなっている。開通式は同年12月7日午前10時に挙行され、祝賀行事として打ち上げ花火や山車の行進などの余興も催された[8]

周辺 編集

隣の橋 編集

(上流) - 平塚橋 - 落合橋 - 釘無橋 - 出丸橋 - 入間大橋 - (下流)
(上流) - 道場橋 - 落合橋 - 釘無橋 - 入間川に合流 - (下流)

脚注 編集

  1. ^ a b c 『川島町史 資料編 近・現代2』 210-211頁。
  2. ^ 荒川上流河川維持管理計画【国土交通大臣管理区間編】”. 荒川上流河川事務所. p. 107 (2017年11月). 2022年6月11日閲覧。
  3. ^ 東武バスウェスト川越営業事務所・坂戸営業所管内バス路線図 (PDF) - 東武バス (2022年4月1日).2022年5月9日閲覧。
  4. ^ 埼玉県の緊急輸送道路 - 埼玉県ホームページ(2021年6月23日)、2022年5月29日閲覧。
  5. ^ 『歴史の道調査報告書第九集 入間川の水運』 30-31頁。
  6. ^ a b 『川島町史 地誌編』 339-340頁。
  7. ^ 三川分流工事”. 国土交通省 関東地方整備局 荒川上流河川事務所. 202-06-11閲覧。
  8. ^ 『川島町史 資料編 近・現代2 川島領と水』 210-211頁。

参考文献 編集

  • 川島町『川島町史 地誌編』川島町、2004年3月25日、338-339頁。全国書誌番号:20585132 
  • 川島町『川島町史 資料編 近・現代2 川島領と水』川島町、2001年3月30日、204-205頁。全国書誌番号:20157187 
  • 埼玉県立さきたま資料館『歴史の道調査報告書第九集 入間川の水運』埼玉県政情報資料室、1988年3月。 

外部リンク 編集