鏡島城(かがしまじょう)は、美濃国厚見郡鏡島村(岐阜県岐阜市鏡島)にあった戦国安土桃山時代日本の城(平城)。乙津寺の南門の前に位置した。

概要 編集

築城者及び城主には諸説あり、『美濃明細記』は斉藤帯刀左衛門が創築し、河渡城主の安藤守就(守龍)の城であり、織田信長武田信玄との内通を疑われ追放されるまで治めたとする[1]

『新撰美濃志』や『美濃稲葉志』によると、1545年に水害にあった乙津寺を復興している石河光清(石河駿河守)が築城者であり、豊臣秀吉に仕えた石川光政までの4代が在城した[2]。光政は関ヶ原の戦いにおいて西軍に属し、改易される。 乙津寺の門前には、石河駿河守が領主であったとする塔頭が残されている。

脚注・出典 編集

  1. ^ 河渡城主は守就の嫡男の安藤定治だったとする説もある
  2. ^ 石河氏承久の乱の後に平政子(北条政子)に任じられて以来の美濃国厚見郡市橋庄の地頭を務めた豪族・小領主。

関連項目 編集