長尾 景誠(ながお かげのぶ)は、戦国時代武将山内上杉家の家臣。白井長尾氏7代当主。上野国白井城主。

 
長尾景誠
時代 戦国時代
生誕 永正4年(1507年
死没 大永8年1月24日1528年2月14日
別名 通称:孫四郎
戒名 明室正光
墓所 群馬県渋川市上白井の空恵寺
主君 上杉憲寛
氏族 白井長尾氏
父母 父:長尾景英、母:長野業正姉または長尾景人娘(異説)
兄弟 景誠、白井局 (成田長泰正室)
長野業正姉(異説)
養子:憲景
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略歴

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永正4年(1507年)、長尾景英の嫡男として誕生。母は通説では長野業正の姉とされるが、異説では長尾景人の娘が母で長野業正の姉は正室の誤りとする[1]。また、長野業正の長男・吉業は景誠の娘を妻にしたとする[2]

父の病死する直前の大永4年(1524年)頃に家督を継ぎ、白井城主となる。総社長尾氏長尾顕景越後国守護代長尾為景と軍事面で盟友関係を結び、山内上杉家に反抗する。その後、山内上杉家方の上野長野氏に攻められると、同氏と婚姻を結んでその支援を受けるようになった。

大永8年(1528年)、家臣によって討たれた。当時、山内上杉家は上杉憲寛憲政の家督争いの中にあり、景誠の死もこの争いに関わっているとみられている。業正の斡旋によって、跡を総社長尾家出身の憲景が継いだ。

脚注

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  1. ^ 黒田 2010, pp. 16–18.
  2. ^ 黒田 2010, p. 15.

出典

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  • 黒田基樹 著「長尾景春論」、黒田基樹 編『長尾景春』戒光祥出版〈中世関東武士の研究 第一巻〉、2010年。ISBN 978-4-86403-005-2