長尾顕忠

室町時代後期から戦国時代の武将。山内上杉家の家宰。総社長尾氏6代。

長尾 顕忠(ながお あきただ)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将山内上杉家家宰総社長尾氏6代当主。

 
長尾顕忠
時代 室町時代後期 - 戦国時代
生誕 不明
死没 永正6年1月9日[1]1509年1月29日
別名 通称:孫五郎
官位 修理亮(受領名)
主君 上杉顕定
氏族 総社長尾氏
父母 父:長尾忠景
兄弟 顕忠定明成田顕泰景致
長尾顕方正室、上杉朝良
養子:顕方
テンプレートを表示

略歴 編集

5代当主・長尾忠景の嫡男として誕生。上杉房顕顕定から偏諱を受けたとみられている。文明12年(1480年)、秩父郡にて上杉軍の将として長尾景春と交戦(「太田道灌状」)する。程なく総社長尾氏の家督を継いだとみられている。長享元年(1487年)からの長享の乱の時には山内上杉家の家宰として同軍の中核となり、上杉朝良伊勢宗瑞らと戦う[2]。晩年は武蔵国杉山城を居城にした可能性がある。

永正2年(1505年)に京都の三条西実隆和歌の添削を依頼していることが知られている[3]が、他にも万里集九猪苗代兼載など多くの文化人と交流があった。程なく没したとみられるが、永禄6年1月9日(「惣社長尾系図」)・永正2年1月7日(「赤城神社年代記録」)は誤りで、「永禄」は「永正」の誤記であるとみられている。男子がいなかったため、甥・長尾顕方が娘婿として家督を継承した。

脚注 編集

  1. ^ 参考文献として用いた『戦国人名辞典』・黒田論文ともに同日を没日とする。
  2. ^ なお、顕忠の娘は朝良の室になっているが、顕忠の没後のこととみられる。
  3. ^ 『実隆公記』永正2年2月4日条

出典 編集

  • 落合厚志「長尾顕忠」(『戦国人名辞典』(吉川弘文館、2006年) ISBN 978-4-642-01348-2
  • 黒田基樹「惣社長尾氏に関する基礎的考察」『戦国期 山内上杉氏の研究』(岩田書院、2013年)ISBN 978-4-87294-786-1