成田 顕泰(なりた あきやす)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将山内上杉家の家臣。

 
成田顕泰
時代 室町時代後期 - 戦国時代
生誕 寛正6年(1465年)?
死没 大永4年6月8日1524年7月9日
改名 景泰(初名)→顕泰
官位 下総守
主君 上杉顕定顕実
氏族 総社長尾氏成田氏
父母 父:長尾忠景、養父:成田正等
兄弟 長尾顕忠長尾定明顕泰長尾景致
親泰
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略歴 編集

総社長尾氏5代当主・長尾忠景の三男として誕生。成田正等(自耕斎、岩付正等)の養子となる。文明12年(1480年)、養父・正等が隠居し家督を継いだとされる。

山内上杉家に従い、明応6年(1497年)頃に関東管領上杉顕定の偏諱を受け「顕泰」と名乗る。太田氏の勢力再興と共に永正6年(1509年)に支城の忍城に移った。

永正の乱では甥の長尾顕方と共に古河公方足利政氏、関東管領・上杉顕実に従い、横瀬景繁長尾景長と戦ったが敗退、新しく関東管領となった上杉憲房に降伏した。

大永4年(1524年)、死去。なお、旧来の成田氏の系譜では文明16年(1484年)没とされ、大永4年に没したのは嫡男の親泰とされてきたが、近年の研究において成田氏代々の当主の死没日の記事が1代ずつずれている事が明らかとなった。

脚注 編集