長船 綱直(おさふね つななお、? - 慶長4年(1599年)?)は、安土桃山時代武将宇喜多氏の家臣。長船貞親の嫡男。長船定行の兄。紀伊守。ちなみに綱直の諱は良質な史料では確認できない。戸川達安の妻の父である「長船紀伊守」とは年代的に父の越中守貞親のことか。

天正19年(1591年)に父の貞親が暗殺され、居城である虎倉城が全焼するという事件があったが、綱直は外出していたため難を免れている。この事件は姻戚関係があった石原一族(妹婿の石原新太郎)が謀ったとする説がある。

文禄3年(1594年)、伏見城普請において普請奉行を務め、そのときの能力を豊臣秀吉に認められて、岡家利に代わって宇喜多氏領国の国政を担った。内政手腕に優れ、宇喜多秀家の側近で岡山城の改修に功のあった中村次郎兵衛や、直家の時代からの用人浮田太郎左衛門とともに、領内検地などにより主家の財政問題解消に取り組んだ。このため、意見を異にした戸川達安岡貞綱(越前守)と対立したという。キリシタンとなり、宗教面でも日蓮宗徒である戸川や岡貞綱と対立することになる。

慶長2年(1597年)あるいは同4年(1599年)に病死し、その直前に戸川氏とは和解したとされているが、一説には達安や越前守に毒殺されたとも言われている。綱直の専制は、慶長5年(1599年)1月の宇喜多氏のお家騒動(宇喜多騒動)の一因となった。