長谷川武彦
日本の技術者(ヤマハ発動機)
略歴
編集1958年、ヤマハ技術研究所を経てヤマハ発動機株式会社に入社。同社では、オートバイのエンジン開発を担当するとともに、世界グランプリレース監督を務めた。また、名車と謳われた「トヨタ2000GT」の共同開発、ソフトバイク「パッソル」の開発などに関わり、同社社長(1994年~2001年)、会長(2001年~2003年)等を歴任した。
経歴
編集著書
編集- 『感動創造 技術者として、経営者として』(2003年、PHP研究所)
脚注
編集- ^ “平成16年春の叙勲 旭日中綬章受章者” (PDF). 内閣府. p. 4 (2004年4月29日). 2004年7月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月24日閲覧。
- ^ “長谷川武彦氏が死去 元ヤマハ発動機社長”. 日本経済新聞 (2024年5月9日). 2024年5月9日閲覧。