長谷川 貞雄(はせがわ さだお、弘化2年5月20日[1]1845年6月24日) - 明治38年(1905年2月8日[1])は、日本の海軍軍人、主計総監。貴族院勅選議員

長谷川貞雄

人物

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遠江国豊田郡川袋村(現在の静岡県磐田市)に中村貞則の子として生まれ、父の実家の長谷川家を継いだ[1]。志士と交わって報国隊を組織し、戊辰戦争の際には有栖川宮熾仁親王の東征軍に加わり、箱館戦争で功績をあげた[1]

その後、兵部省会計権佑となり、会計権少祐、会計少祐、会計権大佑、兵部大録と昇進を重ねた[2]。さらに海軍省では主計大監となり、主船局長、会計局副長、統計課長、会計局長、調度局長、主計本部長、海軍主計学舎長、会計局次長を歴任した[2]1889年明治22年)には海軍主計総監・会計局長に任じられた。海軍省第3局長であった1891年(明治24年)4月に予備役に編入され[3]、同年4月15日、貴族院議員に勅選され[4][5]、死去するまで在任した[6]

晩年は浜松市に居住し、西遠地方の公共事業に尽力した[1]

親族

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長女・タキ寺内正毅の後妻[7]

栄典

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脚注

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  1. ^ a b c d e 静岡県人物志 1924, p. 338-340.
  2. ^ a b 岳陽名士伝 1891, p. 984-988.
  3. ^ 『官報』第2336号、明治24年4月17日。
  4. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、4頁。
  5. ^ 『官報』第2335号、明治24年4月16日。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、15頁。
  7. ^ 竹内正浩『「家系図」と「お屋敷」で読み解く歴代総理大臣 明治・大正篇』(実業之日本社、2017年)p.164
  8. ^ 『官報』第1033号「叙任」1886年12月8日。
  9. ^ 『官報』第2074号「叙任及辞令」1890年5月31日。

参考文献

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  • 山田馨佳編『岳陽名士伝』1891年。 
  • 『静岡県人物志』静岡県、1924年。 
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。