門部王(かどべおう、生没年不詳)は、奈良時代皇族太政大臣高市皇子の子[1]官位従四位上治部卿

経歴

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和銅6年(713年)二世王としての蔭位により従四位下に直叙され、養老5年(721年大判事に任ぜられる。

神亀3年(726年聖武天皇播磨国印南野(明美台地)への行幸のために、造頓宮司に任ぜられる。天平3年(730年)正月に従四位上に叙せられた。また同年12月には、甲斐国守・田邊広足らが進上した黒い身体に白いたてがみと尾を持つ神馬について、『援神契』(『孝経』)によると「徳が山陵に至ると神馬が現れる」とあり、実に大瑞である旨の奏上を行っている[2]

官歴

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続日本紀』による。

脚注

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  1. ^ 澤田[1990: 70]
  2. ^ 『続日本紀』天平3年12月21日条

参考文献

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  • 宇治谷孟『続日本紀 (上)』講談社講談社学術文庫〉、1995年
  • 澤田浩「『薬師寺縁起』所引天武系皇親系図について」『国史学』第142号、国史学会、1990年