間竿(けんざお)とは、日本で検地の際に用いられた、長さを測るための製の竿である。検地竿(けんちざお)ともいう。

その名の通り1の長さを測るためのもので、通常は2間の竿1本と1間の竿2本を組にして用いた。間竿には1ごとに目盛りが振られ、両端はすり減らないように銅で包まれていた。

間竿の長さ、すなわち1間の長さは、地域によって違いがあったが、おおむね6尺5であった。太閤検地の際に全国で6尺3寸に統一され[1][2]、江戸時代には6尺1と定められた。ただし、地域の実状に合わせてこれ以外の長さの間竿が用いられた所もある。1間の長さは明治時代に6尺と定められた。


参考文献 編集

上記の内容は、佐藤甚次郎著『公図 読図の基礎』(古今書院、1996年)に詳述されている。その概要を述べると、「間竿の相違」(p.115)、「東京府における間竿の長さ」(pp.116-7)、「検地尺の多様性」(p.117)、「表3-4 旧慣の間竿の長さ」(p.118)、「間竿の長さに対する大蔵省の態度」(p.121)となる。なお、「表3-4 旧慣の間竿の長さ」に言及はないが、福岡藩(筑前国)においては6尺5寸の間竿が用いられていた。同書p.124には、「旧検6尺5寸ヲ自乗シ尺積42坪2合5勺ト成、新検6尺ヲ自乗シ尺積36坪トナル…」(福岡県「地租改正ニ付布達・増補」県達第39号)とある。また、「福岡県史稿 制度租法 中」(内閣文庫)にも、「管内検地ハ慶長年間ニ始メ、万治年中ニ畢ル、以後新田検地モ度々有之、都テ曲尺六尺五寸ヲ以テ壱間トシ四方壱歩、三百歩ヲ以テ壱反ニ定ム…」(明治5年、福岡県より大蔵省へ伺い、稟議)と記されている。

脚注 編集

  1. ^ 太閤検地”. 税の歴史サイト. 国税庁. 2020年7月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月17日閲覧。 “太閤検地では、1間は6尺3寸(=約1.9メートル)と定められました。文禄3年(1594)に行われた島津家領の大隈・薩摩・日向の太閤検地の際に用いられた検地竿(検地尺)が現存していますが、ほとんど誤差の無い正確なものでした。”
  2. ^ 検地”. 宿毛市史. 高知県宿毛市. 2020年7月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月17日閲覧。 “それまで6尺3寸であった検地竿を改めて1間(6尺)とし1間平方を1歩、30歩を1畝、10畝を1反、10反を1町として田畑の面積を明らかにした。”