間部 詮道(まなべ あきみち、嘉永6年9月6日1853年10月8日) - 明治25年(1892年4月6日)は、越前鯖江藩の第9代(最後)の藩主。間部家10代。第7代藩主・間部詮勝の八男。母は家臣・田子氏の娘。正室は大河内正和(松平正和)の娘・貴子。子は間部詮信(長男)、間部詮敦(次男)、娘(横尾某室)、娘(山後勝義室)。官位は正五位、下総守。

間部詮道

江戸で生まれる。幼名は卍治。文久3年(1863年)、先代藩主で兄の詮実が死去したため、翌年3月29日にその養嗣子として跡を継ぎ、雁の間詰になった。慶応元年(1865年)2月1日、将軍徳川家茂に拝謁する。同年12月25日に従五位下下総守に叙任された。慶応3年(1867年)3月23日に元服し、正式に詮道と名乗る。慶応4年(1868年)4月5日、上洛する。明治2年(1869年)3月、版籍奉還を建白し、同年6月20日、鯖江藩藩知事となる。明治4年(1871年)の廃藩置県で免官されて東京へ移る。明治15年(1882年)12月23日、隠居し、長男・詮信に家督を譲る。同25年(1892年)に東京で死去した。享年40。法号は霊光院殿祐誉啓覚詮道大居士。墓所は東京都台東区花川戸の九品寺。

系譜

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父母

正室

子女

栄典

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脚注

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  1. ^ 『太政官日誌』明治6年、第157号
  2. ^ 『官報』第1828号「叙任及辞令」1889年8月2日。

参考文献

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  • 間部家文書刊行会編『間部家文書』第五巻 鯖江市、1988年。