閭 紇(りょ きつ、生年不詳 - 462年)は、北魏外戚柔然の出身。景穆恭皇后の兄弟にあたる。

経歴 編集

柔然の郁久閭辰の子として生まれた。太武帝のとき、北魏に帰順した。恭皇后が東宮に入り、皇太子拓跋晃の妃となった。440年太平真君元年)、恭皇后が拓跋濬を生んだ。456年太安2年)、閭紇は寧北将軍の号を受け、零陵公の爵位を受けた。この年のうちに侍中の任を加えられ、爵位は王に進んだ。後に征西将軍・中都大官に転じた。462年和平3年)12月、死去した。司空の位を追贈された。

子に閭荘(閭豆)があり、定戸籍大使や七兵尚書をつとめた。

伝記資料 編集

  • 魏書』巻83上 列伝第71上
  • 北史』巻80 列伝第68