阪上 貞信(さかがみ さだのぶ、1875年5月6日[1] - 1932年5月14日[2])は、日本の政治家衆議院議員(1期)。

経歴

編集

山口県出身[2]1897年明治法律学校及び東京法学院[2]朝鮮江景群山各日本人居留民団長、群山土地組合長、同土地組合連合組合評議員、同商業会議所特別議員、鮮南勧業(株)社長、京南鉄道(株)専務取締役となる[2]

1917年第13回衆議院議員総選挙において山口県郡部から立憲政友会公認で立候補したが落選[3]1920年第14回衆議院議員総選挙において山口3区から立候補して当選する[4]。衆議院議員を1期務めた。1924年第15回衆議院議員総選挙に立候補しなかった。1932年死去。

脚注

編集
  1. ^ 衆議院『第四十三回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1920年、27頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』291頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』62頁。
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』68頁。

参考文献

編集
  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。