阿座上庄蔵

日本の幕末の武士 (1846-1864)

阿座上 庄蔵(あざがみ しょうぞう、1846年 - 1864年)は、日本幕末武士

経歴

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弘化3年生まれ。村塾吉田松陰に学ぶ。長州藩士で、文久3年には外国船砲撃に加わる。後に萩野隊隊長となり、禁門の変では国司信濃に従う。中立売門に侵攻するが、19歳のとき重症を負って自害した[1][2]

名は正光。字は孝徳。通称は正蔵、荘蔵。[1]

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b 日本人名大辞典+Plus, デジタル版. “阿座上庄蔵とは”. コトバンク. 2021年9月11日閲覧。
  2. ^ 赤禰武人 村塾生、奇兵隊総督。四国連合艦隊と下関にて戦う ...”. 2021年9月11日閲覧。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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