阿蘇 惟敦(あそ これあつ、文政13年8月17日(1830年10月3日) - 明治26年(1893年)2月9日[1])は江戸時代後期から明治時代にかけての阿蘇大宮司(第87代目)、権少教正。
父は阿蘇神社宮司阿蘇惟治。林桜園・佐々木弘綱に国学を学ぶ[2]。明治17年(1884年)、「国家ニ勲功アル者」として男爵位を与えられた。正五位。
妻・壽子は細川興寧の五女[1]。子に阿蘇惟孝、阿蘇惟教。