陳 亜貴(ちん あき、Chen Yagui、? - 1850年)、末の天地会の蜂起の指導者。チワン族

広西省武宣東郷出身。1846年から潯江で反清闘争を進行させていたが、1848年に数千人の民衆を率いて東郷で挙兵し、賓州桂平を攻撃した。1849年には茘浦を陥落させたが、清軍に奪回されると柳州に転進して戦闘を継続した。1850年になると勢力は柳州・南寧潯州一帯に拡大したが、清朝の派遣した広西提督向栄の攻撃を受け、桂平の羅淥山に撤退した。後に桂平知県の李孟群に捕えられ処刑された。

参考文献

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  • 郭穀生・史式編『太平天国大辞典』中国社会科学出版社