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青墓宿(あおはかのしゅく)は、現在の岐阜県大垣市青墓町にあったとされている古代中世東山道宿駅。青波賀,奥波賀,遭墓,大墓,青波加,青冢とも書く[1]

不破関の東側にある宿駅で、平安時代末期から鎌倉時代遊女傀儡子が多くいたことで知られ、『梁塵秘抄』などに伝承が遺されている。『十訓抄』によると、『詞花和歌集』6巻の「はかなくも今朝の別れの惜しきかな いつかは人をながらえて見し」は、青墓の傀儡女、名曳(なびき)が詠んだものといわれる[2]

吾妻鏡建久元年10月29日条には上洛途中の源頼朝が、ここで宿泊して現地の長者・大炊とその娘を召したこと、合わせて頼朝の祖父源為義が大炊の姉をとしていたこと、頼朝の父・源義朝東国京都の往復の際に大炊の家に宿泊したことが記されている。

河内源氏と青墓宿との関係の深さから『保元物語』や『平治物語』にも青墓宿が登場する。

戦国時代浅井氏の侵攻によって荒廃したと言われているが、詳細は不明である。安土桃山時代の浅野長吉折紙(市田靖氏所蔵文書)が「大墓宿町人中」に宛てて、戦乱で逃げ出した町人を還住させようとしていることから、『岐阜県の地名』は「遊女の宿としての性格は失いながらも、戦国期まで東山道の宿として存続していたと思われる」としている[3]

参考文献編集

脚注編集

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  1. ^ 青墓宿世界大百科事典
  2. ^ 『新撰十訓抄』田中健三著 (東林書房, 1931)
  3. ^ 説経『をくり』の離陸 - 瀬田勝哉、武蔵大学人文学会雑誌 第41巻第2号

関連項目編集