賴 明珠(らい めいしゅ[4]、ライ・ミンチュー、1947年 - )は、台湾の女性翻訳家である。日本小説家村上春樹繁体字翻訳で知られる。1969年に国立中興大学農経系を卒業し、研究助手を務めた後、コピーライターになり、不動産の広告企画の仕事に携わった。1975年から1978年に日本へ留学し、千葉大学園芸学部農業経済研究室に在籍、指導教員は鈴木忠和教授であった。[2]

頼 明珠
プロフィール
出生: 1947年
出身地: 中華民国の旗 台湾苗栗県
職業: 翻訳家
各種表記
繁体字 賴明珠
簡体字 赖明珠
拼音 Lài Míng zhū
和名表記: らい めいしゅ
発音転記: ライ・ミンチュー、ライ・ミンジュー
英語名 Lai Ming-chu[1][2]、Lai Ming-zhu[3]
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賴明珠は台湾の出版界に村上春樹をもたらし、当時の彼女の翻訳による出版の最初の作は中編小説『1973年のピンボール』と短編小説「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」である。後に台湾の故郷出版社が翻訳集団の劉惠禎黃琪玟傅伯寧黃翠娥黃鈞浩を通じて先を越して『ノルウェイの森』上中下巻を出し、1989年に、村上春樹旋風を引き起こした。その村上春樹旋風により賴明珠は村上春樹の多数の長編小説作品の翻訳に専念し始めた。2001年までに、既に15本翻訳し、100万冊超売れた。彼女は長期にわたり村上春樹の作品を翻訳した後、自らの訳風を発展させたが、この点で時々村上春樹の読者の議論になる。賴明珠は訳文中その他の訳者と同じではなく、大量の日本語式助詞「ああ」「おや」の翻訳を保留し、一方で簡体字中国語版の訳者林少華は、精錬的な散文風に偏向している。

翻訳書(村上春樹)

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出版社、年月日、ISBNは翻訳版。

1990年代

2000年代

2010年代

翻訳書(その他)

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脚注

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関連項目

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外部リンク

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