飯塚 彦四郎 (いいつか ひこしろう、1873年 - 没年不明)[1]は明治時代の実業家。
元雄勝鐵道取締役社長、雄勝銀行取締役、羽後銀行西馬音内支店長[1]。
秋田県に、先代飯塚彦四郎の長男として生まれる[1]。 大正6年に家督を相続し、前名 彌一郎を改め彦四郎を襲名する[1]。 明治31年東京高等工業学校染織科を卒業し、盛岡染織講習所橫手機業所各所長に就任する[1]。