馬淵式ヘリコプター
概要
編集馬淵は、当時実用的な機体の登場に至っていなかったヘリコプターの研究を進めており[1]、1931年(昭和6年)1月24日に「旋廻飛行機」として特許を出願した[2]。これは、各ローターブレード(動翼)の傾斜角度を調節できる可変ピッチ機構を備えた[3]同軸反転式ローターを飛行に用いるもので[4][5]、翌1932年(昭和7年)8月26日に[2]特許権が認められた[1][2]。
1937年(昭和12年)10月には、馬淵式ヘリコプターの実機が大阪府工業奨励館にて展示された。エンジンと変速装置は自動車のものを転用して製作されており[5]、特許の明細書では数葉(図面では4翅)とされていたローターが[6]実機では2翅となっているなど[5]、特許出願時の構想から変更が加えられている箇所もあった[5][6]。その後、進捗率90パーセント程度のところまで製作が進められたが、太平洋戦争の被害を受けて機体は完成に至らぬまま失われた[1]。
脚注
編集参考文献
編集関連項目
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