高丘 百興(たかおか の ももき)は、平安時代前期の貴族内蔵頭高丘比良麻呂の玄孫で、摂津権介・高丘良人の子とする系図がある。官位従五位下河内守

 
高丘百興
時代 平安時代前期
生誕 不明
死没 不明
官位 従五位下河内守
主君 仁明天皇文徳天皇清和天皇
氏族 高丘氏
父母 父:高丘良人
五常
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経歴

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仁明朝承和5年(838年遣唐准録事として渡し、翌承和6年(839年)日本に帰国する。

嘉祥4年(851年従五位下尾張介に叙任されると、斉衡3年(856年越前介文徳朝では地方官を歴任する。その後、天安3年(859年和泉守貞観5年(863年)河内守と、清和朝では畿内国守を務めた。またこの間の貞観4年(862年)には内位の従五位下に叙せられている。

官歴

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六国史』による。

系譜

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  • 父:高丘良人[1]
  • 母:不詳
  • 妻:不詳
    • 男子:高丘五常[1]

脚注

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  1. ^ a b 鈴木真年『百家系図稿』巻9,高丘宿禰

参考文献

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